僕が死ぬまで

ハゲ/ブス/チビ/デブの僕のどうしようもない人生をブログに残します

生きる意味について

生きる意味とは何だろうか。前回「人生とは死ぬまでの暇つぶし」について僕なりの解釈を書いたときに考えた。人によってそれは様々だと思うし、一つに絞るのは残酷だと思う。例えば一般企業の社長と底辺の僕。イケメンでセフレや大量の異性のファンを抱えるインフルエンサーや配信者、ホストに恋をする裏垢女子。それぞれ価値観は全く違う。僕の想像になってしまうけど、自分の身体を売って稼いだお金を貢いで幸せを感じる人もいるのかもしれないし、一本数十万するお酒や高価な買い物じゃないと満足できない人もいるのかもしれない。分からないけど。で、彼らを傍から見ると僕は幸せには見えない。自分を粗末にしてまでお金を貢ぐのも、値段に振り回される人生も。結局価値観の違いなのだろう。某youtuberの動画で、風俗でお金を稼いでいる一人の女性の話が紹介されていたのだが、その人はホストクラブの掛けを支払うために体を売っており、掛けがなければ働く気力すら湧いてこないらしい。僕はこのエピソードが強烈すぎて長い期間頭の片隅がこのことで埋まっていた。結局これも価値観の違いだ、と言い聞かせるように飲み込むしか僕にはできない。というより、彼らの生活を無価値なものだ、悲しい人生だ、と切り捨てるのは僕にはおこがましい話だ。

結局のところ生きる意味とは各々異なる理由を後付けしているのではないか。そして、最終的には幸せに関係するのではないだろうか。それは僕の願望でもある。苦しむことが生きる意味であれば辛すぎる。今まさに毎日くだらないことで苦しんでいる自分の人生を肯定したくない。これで大丈夫だなんて思いたくないし幸せになりたい。そんなことを毎日惰眠を貪りながら願う僕はやはり馬鹿なのだろう。